薬の説明会の見学

岡林先輩が病棟に上がった後、いつもの様に薬の監査を開始する。

夢中で監査をしていると、市川主任が「今日はもう上がってねえ。」と声をかけてくれる。

もうそんな時間か。とっとと帰っちゃおう。

遅くまで残って仕事への熱意を見せたいところだけど、睡眠第一。もうすぐ三十路だし。早く寝なきゃ身体がもたない。

「すき焼きのお肉が安かったから、今日はすき焼きよ」って、母からメールが来てた。

肉が安くなったせいで、昔ほどすき焼きは有難くないけど、すき焼きは大好き。まあ、好き嫌いなんてないけど。

 

水曜日の朝、いつもの様に薬とにらめっこしていると、岡林先輩に呼ばれる。

「薬の説明会は毎週水曜日にあります。一緒に行きましょう。今日来られる患者さんのリストになります。時間があったらカルテを見ておいて下さいね。」

はーい。

電子カルテがあるので、患者さんの情報はすぐに見られる。ああ、便利だな、電子カルテ。もちろん個人情報に厳しい世の中だから、どの患者さんのカルテでも見れるって訳じゃないけど、精神科勤務だから精神科のカルテは基本的には全て見れる。

病名を見て、入院してきた経緯を見て、薬の確認をして、最近の動向をチェックする。

 

「川村さん、行きましょう」

全然見れなかった。まだ1人しか見れてない。だって、薬を作らなきゃいけなかったし…。

「岡林さん、すみません。全員のカルテは見れなかったです。」

「川村さんは今日は見学だけなので大丈夫です。」

そうなんだ。じゃあ、お邪魔しまーす。

 

薬の説明会は、作業療法室という所で行われるらしい。

作業療法室なんて初めて。殺風景な部屋で、机がコの字に並んでいて、大きなホワイトボードが1つある。隅の方の机に焼き物や書道の道具が置かれている。作業療法のプログラムに、焼き物、書道、茶道、音楽、カラオケがあったから、並んでいる焼き物は患者さんの作品かな。壁や廊下には習字も貼られていた。

薬の説明会のスタッフは、作業療法士と、看護師、薬剤師の私と岡林先輩。患者さんは、今回6人。

 

司会役の野坂師長さんがパワーポイントのスライドを操作しながら話し始める。

「皆さん、今日は来て下さってありがとうございます。薬の勉強会は、1時間くらいで終わります。

今日ここで聞いたことは外では話さないで下さい。ここでは何を話して頂いても外に話が出ることはありませんから、何でも安心して話して下さい。

まずどうして病気になるのかを説明します。そしてその後に薬の説明をします。

ではまず自己紹介からしましょう。私は看護師の野坂です。3階の師長をしています。」

患者さんとスタッフが1人ずつ時計回りに自己紹介していく。作業療法士が、ホワイトボードに名前や入院病棟や職種などを書いていく。自己紹介が終わると、パンフレットを用いて説明が始まる。

野坂師長は、説明に慣れているみたい。流れるように話す。こういうのも精神科で求められるスキルなのかな。重要なところでどもってしまう私は大丈夫だろうか。

私の心中はよそに、説明は滞りなく続いている。

「生まれ持った素因と、環境要因によって病気になります…」

 

可愛いスライドと共に薬の説明会が進行している。

内容をまとめると、精神疾患は遺伝的な素因とストレスが原因で発症する、薬は勝手に止めると数日から半年以内に再発することがほとんどである、自分にとって何が強いストレスとなるかを知る事が大切。

へー、勝手に薬を止めると再発するんだ。

 

開始から20分程経って、岡林先輩の説明が始まる。岡林先輩も流れるように話す。やるな。

「僕、頓服の薬飲みました。」と、唐突に西岡さんが発言した。

他の患者さんもビックリした顔をしている。

岡林先輩は、

「そうですか、必要な時は飲みましょう。では次に行きます。」と、何事もなかったかの様に説明を続行する。

西岡さんは、特に気にする様子もなくパンフレットに目を戻している。

あれ?西岡さんって、5階病棟に初めて行った時に、眠気について聞いてきた患者さんだ。

 

あー、市川主任が言ってたのはこういうことか。患者さんの中には、本当に聞きたいから聞く人と、なんでもいいから言ってみたい人がいるんだ。なるほどね。