うつ病のサチヨさんの人生を振り返る。

「また例え話で恐縮ですが、今度はサチヨさんにしましょうか。でもその前に、ちょっと喉が渇いたので水を飲んできます。」

岡林先輩はサッと席を立った。話し続けると喉渇くよね。学校の先生大変だっただろうな。授業とか、ホント聞いてなかったなあ。はー、聞いておけば良かったよなー。

いつの間にか戻ってきてた岡林先輩が話し始めてた。油断するとすぐぼんやりしちゃう。

「お待たせしました。サチヨさんですね。

 

サチヨさんは、夫と連れ添って50年経ちました。

戦争もあり、楽しいことばかりではなかったけれど、子供や孫にも恵まれて幸せに暮らしていました。

夫は亭主関白でお茶碗1つ洗ったことがなく、洗濯機の使い方も知りません。

サチヨさんは専業主婦で、『この人(夫)は私がいなくなったら生活できないわね、』と思いながら365日休みなく家事をこなしていました。

そんな折、夫が急に他界。

長年2人で暮らしてきたサチヨさんは喪失感と寂しさでいっぱいになり、夜も眠れなくなりました。

朝起きるのがだるく、お昼頃にやっとお布団から出てくるようになりました。

小さいことが気になって、記憶力も悪くなったように感じ、とうとう認知症になったかと落ち込む日々が1年ほど続きました。

サチヨさんの娘が心配し、半ばむりやり精神科に受診させると、うつ病と診断されました。

ちょうど病院のベッドが空いていたので入院することになりました。

サチヨさんは、精神科に入院ということに抵抗はあったものの、全てがどうでも良く思えて、娘の言うことに従いました。

飲めと言われた薬を飲み、起こされれば起き、眠たければお昼寝をして過ごしていました。

あまり食欲はなかったけれど、他人が作ってくれた食事を食べるのは新鮮で、出されたものを残すのは抵抗があったので病院の食事は全て食べていました。

2カ月くらい経ったでしょうか、お昼間に散歩をしてみました。たった一瞬ですが、本当に久しぶりに爽やかな気分を感じました。

 

主治医には割となんでも話すことができた。

この病院の院長だと言う温厚そうな男性の医師。無駄なことは言わない、さっぱりした性格が夫に少し似ていました。

夫が懐かしく、涙が出ることもありましたが、娘や孫たちに会うと暖かな気持になれました。

主治医に、そろそろ外泊をしてみようかと言われ、久しぶりに帰宅。娘が掃除をしてくれていましたが、やはり自分で掃除をしたいと思いました。

看護師さんから、『病院からの行き帰りだけで疲れてしまうことも多いので、あまり無理はしないように』と言われていたので、時間を決めて掃除をしました。

まだ掃除をしたいところは沢山あったけれど、決めた時間が過ぎてしまったので掃除を止めました。

することがないので、ちょっと横になってみると体が鉛のように重たいのを感じました。なるほど、疲れているんだと、横になって初めて気が付きました。夫が亡くなるまでは、ハキハキとなんでもこなしてきたのに…。夫が亡くなってから、何もできなかったのだなと、ぼんやり思いました。

不思議と体力が落ちたことへの焦りや不安はありませんでした。

ゆっくりやればいいんだと思えました。その夜は1人きりで寝ました。

寂しくて寝れないだろうと思っていましたが、自宅にいるからか、夫を近くに感じてぐっすりと眠れました。

話しかけても夫の声は聞こえない。でも、夫の笑顔は鮮明に思いだせました。

病院に戻り、主治医と相談し退院の日を決めました。

退院後すぐは2週間に一度の外来診察でしたが、だんだんと診察の日の間隔が長くなってきました。そして、少しずつ薬も少なくなってきました。

受診して数年経った今、娘一家と同居しています。

娘家族も気にしてくれているので、家事はし過ぎない程度にしています。

夫のことは毎日思い出します。会いたいと思わない日はないけれど、死ぬときになったら迎えに来てくれると思えるようになりました。

娘家族が夫のことを聞いてくれるので、アルバムを見ながら夫のことを話すのがとても楽しい。

ある時主治医に、『そういえば、忘れっぽくなったと言っていたことがありましたが今はどうですか?』と聞かれました。入院前に記憶力が悪くなって、認知症になったと落ち込んでいたのを思い出しました。気になるほどの物忘れはないと思いますと答えると、一応MRIも撮ってくれ、脳の委縮も見られないと言われて安心しました。」

また水を飲んできますと岡林先輩は席を立つ。

サチヨさん…。なんかもう、めちゃめちゃ感動した。

私もサチヨさんの旦那様みたいな人に出会わないかな。サチヨさん夫婦の馴れ初めも聞きたいくらい。